20年来の友人である編集者と、撮影終わりで田園調布をうろつく。
どの家も自分の未来に描けるシロモノではなく映画のセットのようなものばかり。
そんな異次元の町にポツリ、味わい深い木枠の硝子扉のある本屋さんを見つけた。
僕の昭和スイッチが入る。友人も同様に。
友人はこの昭和の箱に足を踏み入れるために、自分の勤務する出版社の週刊誌を購入し中へと侵入。
僕もついてく。
想像通りの老店主が登場し、本と、本を買いにくる人が活き活きしていた時代の話をしてくれた。
この場所のほかに、田園調布の駅前に出していた本屋の話をまじえながら、
いかにも「本が好き」という感じの話をしてくれた。
残念ながら駅前の本屋は10数年前に閉店してしまったそうだが、
店内奥の台所(ちらり見えてしまった)のさらに奥から、
駅前の店が閉店したことが記載された新聞の切り抜きを持って来てくれて見せてくれた。
筆をとられたのは有名な作家さんのお兄さんで、
とてもせつなくて胸がキュンとくる文章だった。
何かを無くしてはじめてわかる大切なこと。
町の人みんなみんな、こどもも老人もご夫人もサラリーマンもフリーターも、
誰もが平等な気持ちで立ち入ることができる「本屋」というなんてことないけど大切な場所。
お店は戦時中の休業期をまたいで84年にもなる大ベテランだそうだ。
老店主77歳。その斜め後ろで、
店主が誇らし気に話す姿に、笑顔で「そうだったね」と綺麗な東京言葉で相づちをいれる奥さま。
「貴重な話をしていただきありがとうございました」
お礼を伝え店を出ると、ご夫婦そろって店外まで見送りにいらしてくれた。
あらためてお礼を言うと、
「ところでさ…」
それからしばらく、懐かしい話その2を頂き、
ももういちどあらためて、お礼。
「そうそう、こんな話もあったんだよ…」
僕と友人は、もうしばらく本屋の前でご店主の話を聞いた。
通りすがるご近所の方たちがご店主に会釈をしたあと、僕と友人にも微笑みかけた。
この本屋とご店主は、単なる商店と商店主ではなく、町の一部であり風情なんだな。
そう思いながら、予定より600円高くなった駐車料金を払って、
僕たちはその町をあとにした。