2013/04/10

NIKKI『トマト大好き』

 上京した頃は、野菜がほとんど食べられなかった。
 食べられる野菜と言えば、ほうれん草、大根、玉ねぎ、あとは芋類のみ。
 それと、麺類に入れるきざみネギだけで、あとはすべてNO!
 東京で一人暮らしをするようになると、ほぼ毎日、トンカツ定食か焼き肉定食ばかり食っていて、
 気が利く店はごはん大盛りタダというところもあったけど、それだけでは腹が膨れなかった。
 ところがどの店のどの定食にも「キャベツお替わり自由」というアドバンテージがついていた。
 キャベツ好きや野菜嫌いでなければ大変ありがたいプランだろうが、いかんせん僕はNOキャベツである。
 お替わりどころか、最初にとんかつの横に盛られたキャベツにさへ手を付けようとしなかった。

 とんかつと大盛りごはんと味噌汁だけじゃ腹膨れないなぁ。
 でもキャベツかぁ…。うーん、食べられない。でも腹が膨れない。でもキャベツ。うーん。

 そんな悩みを見抜かれたのだろうか。店のおやじが僕に話しかけてきたのだ。
 「野菜嫌いなんだろ?」
 「はい」
 「ちょっと待ってな、キャベツ食わしてやるから」
 「でもキャベツは…」
 「いいから、待ってな」

 流暢な東京言葉を発しておやじは厨房へ消えると、しばらくして味噌汁のお椀をもって再び登場した。
 「ほれ、キャベツの味噌汁」
 「むりです」
 「いいから」

 むむむっ、いやじゃない。食べられるっていうか、むしろウマい。
 
 「ほらな。もいっかい待ってろ」
 おやじ再び厨房へ。そしてまたもや皿を持って登場。
 
 「ほれ、きゃべつと天かすの炒め物」
 「むりです」
 「いいから食ってみ」

 むむむっ、ヤじゃない。むしろマイウー。
 
 「これでキャベツは制覇したな。次はレタスとかトマト、いってみっか?」

 いつしか東京言葉から北関東方面の言葉にシフトしたおやじが、次なるステージへ誘おうとした。

 これが僕の、野菜デビュー。時は1981年のちょうど今頃である。

 それから僕は、学校帰りにほぼ毎日とんかつ屋でメシを食い、
 おやじのアレンジにより少しずつ野菜が食えるようになっていった。

 1年後。僕はとんかつ屋でバイトをするようになり、毎日大盛りのキャベツとトマトを食っていた。
 おかげさまで今ではキャベツとトマトは大好物で、
 当時は見たこともなかったアスパラガスも大ファンである。
 

2013/04/05

NIKKI『減らす』

 いろんなものを買ったり集めたり、幸せの法則は「増やす」ことだと思っていたのですが
 歳を重ねるとせっせと溜め込んだものを減らすことに幸せ感じます。
 何十年もかけて総額数十万もつぎ込んだコレクションが居住空間の妨げになり
 二束三文でインターネットで売りに出したり、下手すれば有料ゴミにする場合さへも。
 断捨離ブームになるほどなぁと頭をコクリ。
 肉体だってひもじかった若い頃よりも無駄なものがいっぱいついて
 それを削ぎ落す為にランニングだ水泳だ、エステだダイエットだサプリメントだと
 大金かけては減らすことに必死になっている。
 生活レベルを向上させるにつれ物を増やしてしまったけれど
 本当の豊かさとは、最低限必要なものだけに囲まれて、
 物に支配されない日常を送ることなんじゃないかと最近しみじみ思うのです。

 金持ちになった人たちは、海辺とか山間に家建ててテレビとかパソコンとか
 電波生活に見切りつけて、波と風と木々の揺れる音だけの暮らしに身を置きたがる。
 野菜育てて自給自足して、足りない物は物々交換したりして。
 要る物と要らない物を見極めるだけで、あたらしい生活が始まるような気がします。

 2月にオールナイトニッポン45周年のイベントやったとき、
 10代から溜め込んだ「お宝」をディスプレイとして貸し出した。
 そんとき、大したセキュリティもかけずに、
 スタッフから「盗まれちゃうかもしれませんよ」と言われたけど、まいっかと思えた。
 それはそれで仕方ないと初めて思えた。
 なんとなく、コレクトしてきた物たちの役割が終わったような気持ちになった。

 これまでは溜めることで豊かな気持ちになってきたけれど、
 これからは適正に減らすことで、あたらしい豊かさを獲得したいんだなぁ。





  ( ↓ こんなものとかね。)
 
 

2013/04/01

NIKKI『新学期』

 新学期といえば信じられないような思い出がある。
 国士舘大学4年を迎えた日に登校したら校門が閉鎖されていたのである。
 学生が入れないとはどういうことだと不愉快な気持ちで
 CAUTIONテープを破って突入しようとすると警官が手でバツ印を作って僕を阻止した。
 他にも僕と同じことを試みた学生が数人いたが、誰もが入校を断られたのである。
 不快極まりなく、眉を吊り上げて警官を睨んでいると、学校上空にヘリが到着し廻り始めた。
 
 校内で理事長が殺害されたらしい。
 
 誰かが言った言葉に耳を疑ったが、やがてそれが真実だと解ると背筋が凍りつくような思いになった。
 僕はなんて大学に来てしまったんだろう。
 もともと硬派なイメージであることは知っていたが、まさかまさか、こんな事件が起こる大学に…
 僕は体育教師になるために国士舘に来たのに、そこでは教育とは真反対の事件が起きている。
 僕は失望した。

 その事件で、学校は一週間の臨時休校を余儀なくされ
 学生ではなく国の番人が出入りする物々しい大学となってしまった。

 あれから29年が経ち、国士舘は過去の惨劇など微塵も感じさせないイマドキの大学になった。
 30年前には学生のほとんどが男子だったが、今では男女比がほぼ同じで
 学食には洒落たハンバーガーショップなんかも入っている。
 30年前は僕たち体育学部の学生が集団で学ランを来て小田急線に乗ると、
 他の乗客に威圧感を与え、少し申し訳ない気持ちになったけれど、
 今ではそんなこともなく、後輩たちは普通の学生さんとして車中を共にしている。
 社会貢献を目的とした学生ボランティアも数えきれないほどいる。
 ちょっとチャライ系のサークルも僕らの30年前の100倍ぐらいある。
 
 国士舘大学は変わった。
 体育バカだけじゃなく、普通の高校生が入ってもいいかなと思えるような大学になった。
 4年間を充実させるための学び舎として選ばれる私大のひとつになった。
 
 母校を勝手に変更することはできないが、この30年で母校が変わってくれた。
 これから30年経った頃には、今の在校生が腰を抜かすぐらい素敵な大学になってくれることを切に願う。


 

2013/03/29

NIKKI『…っていうか』

 あまりにも牧歌的な交通ダイア。
 これをQRコードで読み取ればケータイからでも見られるヨと、たいそう親切ですが、
 よほど記憶力に自信がない方でなければ、記憶できると思うのですが。

 朝 8:05と夕方5:35と日曜の10:30ね。
 平日の通勤時と帰宅時と日曜のお出掛け時。
 せめて日曜のお帰り時もと願うのはぜいたくだろうか。
 これでボンネットバスだったら本気で泣ける。
 ねこバスという離れ業もあるかも。

 時刻表の向こうのポストのダイヤもこんな感じなのだろうか…

2013/03/22

NIKKI『ナカメノサクラ』

 中目黒の桜が満開です。
 この町は僕にとって東京の故郷みたいな場所で大好きなのですが、 
 この季節の中目黒は観光地化してちょっと近寄りにくくなりました。
 とはいえ毎年、川沿いのHOSUという洋服屋さんが主催する花見大会には参加しています。
 今年は4月5日なので、きっと葉桜になっているのではないかと。

 知らないうちに中目黒は花見の名所になってしまって、
 花見見物客めあてに世界中の食べ物が軒を連ねています。
 中には、ほんとにどっかの国の名物なのかわからない不思議な露店もあって
 かなり嘘くさいことになってきました。

 ここぞとばかりに素人が腕をふるって店を出していますが
 ほとんどのものが、ン?というものばかりです。
 それ食べる人も、花見の勢いに任せて、簡単に「おいしい」なんて言ってはいけないと思います。
 プロの料理人に失礼です。
 どうしてもお店を出したいプロでない方は、うんと価格を安くすべきだと思います。
 間違ってもディスカウント店で100円で仕込んだ缶ビールを400円とかで売っちゃダメです。
 間違った商売根性が出て、いくら儲かったても、
 桜が散った頃に周りの人から「ちょっとね」と言われたらプラマイ0、いや、むしろマイです。

 中目の花見はビール一律200円! 豚汁200円! とかだったら、これほど優良な夜市はありません。
 それでも、"いやぁ、家庭料理の味をみなさんにふるまいたくって"という人たちがお店をだしてくれれば
 日本一微笑ましい桜の名所となるはずです。
 よしっ、儲けたろという人ばっかりだと、町の、桜の評判も落ちてしまいます。

 あと、ゴミ拾い。
 これできない人が、原発だ、復興支援だって言っても、説得力ゼロです。
 花見の翌朝の目黒川、結構大変なことになってるんですよ。
 

 以上、理想論でした。


 
 

2013/03/19

NIKKI『真央ちゃんのカレンダー』

卓上カレンダーは事務的で味気ないものではなく、華やいだ賑々しいものを置くことにしている。
 カレンダーとしての機能などPCやスケジュール帳でもこと足りるから
 せめて卓上カレンダーぐらいは好きな女優の写真でも飾りたい。
 これが写真立てに入っていたら、いい歳こいたおっさんが若い女優さんの写真なんか飾っちゃってと不気味がられるだろうけど
 「カレンダー」となれば言い訳が立つ。
 事務所に訪れる人が僕の机を見て、「あ、真央ちゃんだ」と思っても、
 「あー、カレンダーね」という具合に丸く納まる運びなのだ。

 あ、
 見蕩れていたら5分も経過していた。これでは仕事が捗らない。
 少し離れた書棚の上に置いてみよう。
 だめだ、遠い。目が衰えた分、余計に。
 そんなに見なければいいのか。と思うほどに見てしまう。
 こういう現象もリバウンドと言うのだろうか。
 見すぎれば飽きるかもしれないぞ。
 じー。
 むりだ。飽きない。
 見すぎた分、照れてしまった。
 どうしよう。思いながらまた見つめてしまった。
 対処法は極めて難しい。

 今度、本人に相談してみよう。



 
 
 

2013/03/15

NIKKI『デニム』

デニムなんて洒落た言い方をするようになったのは随分大人になってからで
 ずっとジーパンとかジーンズという言い方だった。
 ジーパンという言い方はどこかおっさん臭くて ジーンズはおばさんっぽいと思うのは僕だけか?

 少し前に竹内まりやの曲で『デニム』という曲がありました。
 人生は年齢を重ねる毎に味わい深くなっていく云々って歌。
 確かNHKの『SONGS』という番組の最初のゲストシンガーで登場したときに唄ったと思う。
 あの歌聴いて、良い曲だなぁとしみじみした覚えがあるけど、
 思い返すと、そこから中年を意識するようになった気がする。

 若いうちは、知りもしないことを歌の中で疑似体験して背伸びをしたことがあったけど、
 曲に身をあずけて"わかる"と頷くようになったら中年なんだ、と。
 でも、そういう気持ちになるのも悪かぁないなーって思えるようになってきた。
 できることとできないこと、やるべきこととやっちゃいけないことが少しわかるようになってくると、
 時間の使い方とか人の付き合い方も大切になってくるなって。

 そういえば最近は、好きな人としか飲みに行かなくなったし、
 仕事流れで飲み屋へGOというのも少なくなってきた。
 昔は酒のある場所なら、誰とでもよかったのに。
 
 そういうこととデニムが色落ちして自分に馴染んでくることは、まったく同じではないけれど、
 なんとなく"デニムかぁ…"って気持ちになるこの頃です。

 ところで僕の色落ち具合はどんな感じなのだろう?
 ダメージが酷過ぎてリメイクしなければならないだろうか?
 少なくともビンテージではなさそうです。

2013/03/08

NIKKI『犬犬、犬』

「うー わんわんっ」
 きょとん
 (ちっ、聞こえーふりしやがって)
 「ガルゔゔー わん ワワワンっ!」
  きょとん

 「無視かよ おまえも吠えろよ」 
 「やだ 疲れる」
 「ビビらしてやろうと思ったのに 気づいてもらえないように思われて カッコ悪くね?」
 「うん」
 「今さら吠えるのやめるのもシャクだし」
 「そんな心の葛藤 誰も知らないよ」
 「吠えるのやめたら負けだと思わね?」
 「どうやったら勝ちなの?」
 「うーん…勝ちは…ないかも…いいとこ引き分け」
 「どうやったら引き分け?」
 「うーん…吠え続けるとか…」
 「無視され続けたらもっとみっともないと思うけど」
 「うーむ…」
 「どするの?」
 「…やめよか」
 「お好きに」
 「やめた」

 (ふー 無視作戦成功 くわばらくわばら)
 

 

2013/03/05

NIKKI『台湾を振り返って』

食ったなぁ。台湾料理のつもりでいたけど、そのほとんどが香港料理だと知って、ン?
 いいや。美味しかったんだし。そもそもこだわりなんて微塵もない。

 歩いたなぁ。台北中を丸々5日間、ロケバスを延べ30箇所ぐらいに停めて、
 ひたすら歩く、たまにダッシュ、そこらへんに腰掛けて、また歩く。
 土地勘がなく極度の方向音痴の僕の脳に、少しずつ台北マップが刻み込まれていくから不思議。
 あの小籠包店とあっちの小籠包店との間に、こんな公園があって、その横に茶器屋があって…
 美味いものを食わせてくれる店は、ベロから辿って脳みそに地図を描いてくれた。
 
 最終日。勝手に僕が思い込んでいる台湾の家、師範大学へ行く。
 昨年、初めて訪れたときは、感激しすぎて舞い上がっていたが、今回はちょっと落ち着いて校内を散策した。

 豪華メシばかり食い過ぎていたので、学食で昼ご飯を食べ、グラウンドを走る学生をただじっと見てた。
 美しい光景だったよ。なんてことないけど、それが余計にきれいだった。
 
 なにやらバザーをやってて。
 「特別限定生産のプリンを作っているから注文しませんか?」 
 「いつ食べられるの?」
 「2週間後に、ココで引き渡します」
 「そりゃむりだ。僕は3時間後の飛行機で日本に帰らなきゃいけないんだ」 
 「残念です…」
 「余談だけど、僕はこの大学のみんなのことが大好きだよ」
 「どうしてですか」
 「聞きたい?」
 「聞きたいです」
 「長くなるから2週間後に東京で話して上げる」
 「ははは…」
 「ちょうどいい、そのときプリン持って来て」
 「ははは…は」

  
  また行くよ。台湾。爺さんの働いてた台湾の家。


 

2013/03/03

KINNI『台湾で、4日目』

海外に来ると、だいたい3食食べたら和食が恋しくなって、ついつい和食屋にはいってしまう。
 それなりの和食屋がないと、吉野家でも松屋でもアリな気分で、
 とにかくのれんをくぐってしまうつまんない男なんです。
 が、今回はそうじゃない。小籠包の威力をまざまざと見せつけられているから。
 なにあれ? なんで、あんなに種類があるのに、ハズレがないの? 
 なんでどこもかしこもあんなに美味しいの? おせーて!
 小籠包の「包」を「法」に変えて、"これ食べないと帰れないよ"
 という決まりを設けても、誰も文句言わないと思う。

 台湾4日目にして、すでに7度目の小籠包を食したであろうか。悔しいけど、飽きない。
 いや、悔しさなんて、ツユほどにもない(小籠包だけに)。
 むしろ鬼太郎のおやじよりさらに小さくなって、あのくちゅっと結んだ皮の中に入って、
 肉汁に溢れたツユの中に身を預けたい気分である。

 僕の好きな食べ物は上位よりカレーライス、うな丼、茶碗蒸し、餃子であるが、
 今、餃子と小籠包が入れ替わって、茶碗蒸しのポジションさへ脅かしている。
 うかうかしていてはうな丼もカレーライスも穏やかではなくなってくるので、
 なんとかして今日はカレーライスにありつけないかと画策している。

 小籠包カレーなんてのがあったらどうしよ? 
 美味かったらどうしよ?
 うな丼、越えたらどうしよ?

 写真はWホテル31回のチャイニーズレストラン。
 あぁスーラータン麺…それはそれはの代物でした。

 

2013/03/02

NIKKI『台湾で、3日目』

羨ましくなるようなふたりに会った。

 ふたりは素敵な大人で、仲良しの姉妹。
 スマホを自分たちに向けて記念撮影しようとしていたけれど、
 どうも扱い方がわからないらしく
 笑顔をキープしきれずに、徐々にぎこちない表情にかわり
 最終的には額に血管、目に「?」を浮かべていたので、
 おせっかいながら「お撮りしましょうか」と英語で話しかけたところ
 「お願いします」と丁寧な日本語でお願いされた。

 向かって左側の妹さんは、日本でジャズシンガーをされているらしく
 なかなか見事な日本語を操っていた。

 ふたりはずっと手を繋ぎ、頬を寄せ、時にハグし合いながら
 恋人も羨むような仲良しっぷりを発揮してくれていました。

 こういうのっていいなぁ、としみじみ。
 台湾で見つけた素敵な光景、その壱であります。

 明日もロケで朝から忙しいだろうけど、
 その弐を見つけたいなぁ…。

 3日目/昼飯大量につき、消化しきれず、夕食の時間を2時間遅らせる。
     夕飯大量につき、しばらくメシのこと考えられず。
     ディナーに赤ワイン&紹興酒&ルービ。
     大満足(トゥーマッチ?)の胃袋。
 
 

2013/03/01

NIKKI『台湾で、その2』

街の色を見るだけで勢いを感じます。
 建物、看板、人々、空気、どれも色鮮やかでエナジー満点。
 とりわけカップルのいちゃいちゃっぷりはカロリー高いです。
 食べ物も一緒。皿の上に、どうデザインするかという画的なことではなく、
 どれだけガッツり楽しんでもらえるかに焦点を絞った直球的なサービス。
 
 午前中のロケハンを終え、
 現地コーディネーターとっておきの隠れ家的小籠包美味店で遅いランチ。
 もう食えんというラインまで追い込んでから、たたみかけるようにタピオカミルクティー。
 今度こそ、もう食えん! しばらく食事いらない!
 
 ロケハン午後の部開始。歩く歩く。
 順調に消化液が活躍し、夕暮れ頃にはひょっとして食べれるかも…
 そして午後8時半。ホテルコンシェルジュお薦めのイタリアンへ直行す。

 イタメシ屋の日本大好きだというバイト君を掴まえて隣に座らせる。
 「一緒に食おう、そして飲もう!」の誘いに、申し訳なさそうに首を振り、
 厨房に駆け込み、まかないメシを持参して再度テーブルにつく。
 ちゃんとしている、良い青年だ。
 5分後、2度目の「一緒に食って、飲もう!」のリクエストにより
 僕らがオーダーした料理に豪快に手をつけ、ビールと白ワインもやっつける。

 青年は5月に短期留学で日本に来るらしいので、
 帰り際に「ワリカン」という日本語を教えてあげた。


 2日目/白ワイン1ボトル。台湾ビール3本。タピオカミルクティー、ゴマあんこ饅頭ほか多数。
 
 
 

2013/02/28

NIKKI『台湾で、1日目』

昨年の11月にはじめて訪れた台湾。
 おやじが生まれて11歳まで育った場所であり、
 爺さんが、現在の師範大学で教鞭をとっていたということもありなので、
 すーっと馴染むことができて、いい旅立ったなぁと感慨していたら、
 100日ぐらいしてまた来ることができた。
 今回は仕事なので、気持ちをピンと伸ばしているつもりです。

 寒い東京からちょっとぬるくてしっとりめの台湾へ。
 初日は雨でしたが、ヤな気はしなかった。
 日本でいうところの春を待つというか、春を呼ぶというか、
 そんな待ち遠しさに満ちた雨です。

 こどもたちはそれぞれに工夫して雨と遊んでいました。
 雨どいから漏れ落ちる雨水を、ビニール袋に受けて溜めっこしてました。
 東京でもよく見る光景なんだろうけど、
 異国情緒も手伝って、ものすごく微笑しく映ったので
 パチリとやったら、ギロリとされた。
 ギロリの目のままこっちに近づいて来たので、ちょっと構えたら、
 見せてみせて(というような感じの台湾語)と言ってたので
 またまたパチリを連写したら、
 父兄っぽい人にギロリとされた。

 国家間の友好関係に関わると思い、そろーっとその場を後にしました。

 初日/食事4回。デザート1回。立ち食い1回。足つぼマッサージ40分。
 

 
 

2013/02/26

NIKKI『ニャンコ先生』

世田谷ものづくり学校周辺でハバを効かすボス猫。
 名前をニャンコ先生と言う。
 堂々たる歩行スタイルに、猫ながら感心することしきり。
 決して慌てずマイペースでこちらに寄って来ては、スネあたりに頭突きをゴン!
 「撫でろ」という要求である。
 で、撫でる。
 するとケツ向けて尻尾を立てる。
 ここも撫でろ! である。
 で、撫でる。
 バタンと横倒しになり、顎を上げて…
 撫でろ!
 
 かなぁり気持ち良さそうなので、しばらく撫で続けると、
 前足で手のひらをつかんで、ガブリとしながら猫キック。
 いててて、「わーお」。思わず声が…
 ニャンコ先生、びくっと立ち上がり、僕から2mの距離に移動してまた横転。
 テメーっていう視線を送ってみるが、
 ストレッチポール体操のように左右にバタンバタン。超余裕。
 すっごい負けた感。

 なんとか勝ちたい。
 あいつのペースに乗りたくない。
 でも勝ち方がわからない。
 
 
 

2013/02/25

NIKKI『東京マラソンの翌朝に思うこと』

昨日は東京マラソンで多くの友人がエントリーし、ほとんどが完走した。
 立派だ。とても真似できない。42.195という数字を見ただけでコタツで丸くなりたくなる。
 みんな僕を誘う。陸上部だったんだから走るの平気でしょ? 
 甘い。というか知らなすぎる。僕の専門は走り幅跳びとハードルだ。長距離との共通点は「走る」というだけで、距離とかスピード感とかトレーニング方法はまるでく違う。いわゆるソッキンとチキンの違いで、まったく別のジャンルの競技と思っていただいてかまわない。
 「ソッキン」と「チキン」。お肉の話じゃないです。わからない人はレッツWiki!
 
 僕は、本当に長い距離を走るのが苦手という域を超えて、ムリなのだ。走り方がわからない。力の抜き方と呼吸法がまるでわからないのである。だからどうしても頑張ってしまって長持ちしないのだ。
 それでも昔から運動をやっていたせいか、人前ではそれなりにできちゃうような事を言ってしまうからタチが悪い。
 「クリさんならなんでもでいるでしょ?」「ま、それなりにね」
 これぐらいは序の口である。
 「クリさん、ほんとは運動神経悪いんじゃないの?」「っざけんな! 勝負するぞ、勝負!」
 アタマやカオのことはどーだっていい。運動神経のことになるとどうもムキになる傾向がある。
 そうやって、一週間後にテニスの勝負だ、ゴルフの勝負だと勝負を挑む。100mダッシュの勝負というのもあった。
 一週間の猶予というのがまたよくなくて、訛っていた肉体を急にフルスロットルにして練習するから、一週間後には乳酸たまりまくって体バキバキでちっとも勝負にならないどころか、前日に肉離れしたこと(テニスの勝負んとき)もある。
 なんだか最近、本当に運動神経が鈍いような気がして、毎日少しずつ落ち込み汁が溜まっていって、もう表面張力でこぼれそうです。

 さて、友人たちはなぜ走るか? 
 きっと反発なんだろうね。
 大学卒業してから50まで、30年弱の間で、それなりに仕事で頑張ってきただろうけど、本当に自分の限界っていうか可能性っていうか、そういうものにチャレンジして自己確認したくなったんじゃないだろうか。
 特にフルマラソンなんて、人の支えはあるものの、走り続けるのは自分ひとり。
 42kmもの距離を走りながら、自分のこれまでの30年間や、その前の20年間も浮かべて…。
 走ることで、走り切ることで、今までになかったちょっとした自信をつけて、まだまだこの先の人生も、って気持ちを獲得できるんだろうな。同時に、競わなくても良いスポーツの心地よさを、ダイレクトに体感できるんだろうな。本当に気持ちいいこと、実感できるんだろうな。
 そんなことをマラソンのマの字も走ったことのない僕が書くのは失礼だけど、昨日完走した友人たちはきっと充実した気持ちで新しい朝を迎えたんだろうなーなんて、羨ましく思っているわけです。
 「いやー、体バッキバキ。もうおっっさんだよ、おっさん」
 その言葉こそが勲章なのです。
 みんな、ほんとうにお疲れさん。
 完走、おめでとう。
 とりあえず、僕は歩ウォーキングからはじめます。



 で、写真は僕のウォーキングコース(週一)、瀬田の交差点です。


 

2013/02/23

NIKKI『おやじの命日30年』

あれから30年も経ったなんて、なんだか不思議な気持ちだなあ。
あのときおやじは55歳で僕は20歳、お兄は24歳で母は50歳。つまり今の僕はあのときの母と同い年で、おやじより5歳年下。
公務員だったおやじと美容室を営む母のことを、しっかり働いてくれるありがたい両親だと感じていた。
パソコンもケータイもない時代、家族団らんの時間といえば居間でテーブル囲んでテレビ観るぐらいだったけど、おやじと観るテレビにはどこか緊張感があった。
おやじの機嫌がよくないときは、基本的にテレビはNG。機嫌が普通のときはNHKと巨人戦が許され、ご機嫌だとドリフと歌番組が許可された。
しかしおやじの機嫌は秋の空のごとくコロコロと変わる。
ドリフを観て、僕が調子に乗ってカトちゃんのギャグを解説すると、「そんなもん詳しくなるより漢字の書き取りでもしとれ」。長島がチャンスで凡打すると「巨人が勝っても負けてもおまえの人生には関係あらへん」。
よくもまあ長島の一打席でこんなにも機嫌が変わるもんだと感心したものだ。
こんな劣悪なテレビ環境下にありながら、誰よりもテレビを観て、ラジオを聴きまくれたのは奇跡と言える。
ビデオなどないから、おやじが寝静まったことを確認してから、ゴールデンタイムにテレビを観られかなったウサばらしに11PMを観て、テレビ放送が終了するとオールナイトニッポンを聴いて思春期力を増大させた。
6年生で睡眠時間は6時間を切り、中学に入ると空が明るくなるまで起きていた。
テレビを観させてもらえない夜はジャージに着替えて教科書もって、「小瀬まで走りに行って、帰りに真ちゃんとこで勉強してくる」と母に告げて玄関をでた。
「テレビの勉強やろ。2時間で帰ってこやあよ」。母親、お見通しなのである。
ちなみに小瀬とは、長良川のことを指し、家から5キロの距離にある。陸上部の僕にしてみると往復10キロというベストなランニングコースだった。
陸上の成績はそこそこだったから、おやじも夜練には寛容で、しかも帰りに友だちと勉強とは感心!と思ってくれていたみたいで、�案外ゴマかすのチョロいもんだな″とタカをくくっていたら、ある日、母親に�おとうさんお見通しやよ″といわれドキッとした。
その真ちゃんも19歳で死んだ。
おやじより7ヶ月前のことだった。

30年目の日におやじのせいでテレビ観れなかったことばかり書くのはなんだが、思い出というのは時間とともに美しく茶目っ気たっぶりな記憶に昇華していくから不思議だ。
したがって、今現在の思いとしては、とっても素晴らしいおやじとの思い出話を書いている気がするのである。

気がつけば50になった僕は、やっぱりNHKと巨人戦以外、ほとんどテレビを観ていない。

2013/02/22

NIKKI『田園調布の古い本屋』

20年来の友人である編集者と、撮影終わりで田園調布をうろつく。
 どの家も自分の未来に描けるシロモノではなく映画のセットのようなものばかり。
 そんな異次元の町にポツリ、味わい深い木枠の硝子扉のある本屋さんを見つけた。
 僕の昭和スイッチが入る。友人も同様に。
 友人はこの昭和の箱に足を踏み入れるために、自分の勤務する出版社の週刊誌を購入し中へと侵入。
 僕もついてく。
 想像通りの老店主が登場し、本と、本を買いにくる人が活き活きしていた時代の話をしてくれた。
 この場所のほかに、田園調布の駅前に出していた本屋の話をまじえながら、
 いかにも「本が好き」という感じの話をしてくれた。
 残念ながら駅前の本屋は10数年前に閉店してしまったそうだが、
 店内奥の台所(ちらり見えてしまった)のさらに奥から、
 駅前の店が閉店したことが記載された新聞の切り抜きを持って来てくれて見せてくれた。
 筆をとられたのは有名な作家さんのお兄さんで、
 とてもせつなくて胸がキュンとくる文章だった。
 何かを無くしてはじめてわかる大切なこと。
 町の人みんなみんな、こどもも老人もご夫人もサラリーマンもフリーターも、
 誰もが平等な気持ちで立ち入ることができる「本屋」というなんてことないけど大切な場所。
 
 お店は戦時中の休業期をまたいで84年にもなる大ベテランだそうだ。
 老店主77歳。その斜め後ろで、
 店主が誇らし気に話す姿に、笑顔で「そうだったね」と綺麗な東京言葉で相づちをいれる奥さま。

 「貴重な話をしていただきありがとうございました」
 お礼を伝え店を出ると、ご夫婦そろって店外まで見送りにいらしてくれた。
 あらためてお礼を言うと、
 「ところでさ…」
 それからしばらく、懐かしい話その2を頂き、
 ももういちどあらためて、お礼。
 「そうそう、こんな話もあったんだよ…」

 僕と友人は、もうしばらく本屋の前でご店主の話を聞いた。
 通りすがるご近所の方たちがご店主に会釈をしたあと、僕と友人にも微笑みかけた。
 
 この本屋とご店主は、単なる商店と商店主ではなく、町の一部であり風情なんだな。
 そう思いながら、予定より600円高くなった駐車料金を払って、
 僕たちはその町をあとにした。


 
 

2013/02/21

オールナイトニッポン博 in 丸の内ハウス & 日記復活です!




約一年ぶりのブログというかNIKKI復活です。
 これまでも、フッカツフッカツと軽々しく口にしていましたが、今度こそ本気で復活です。
 でも、なんで書かなかったんだろ? 書けなかったんだろか? まーいい。過ぎたことだ。
 
 さて、オールナイトニッポン45周年を記念して、新丸ビルの7F「丸の内ハウス」にて、オールナイトニッポン博をやるから手伝ってという依頼が来てトキめいた。
 オールナイトニッポンは僕ら世代の青春のバイブルというか、青春そのものというか、いろんなことで本当に僕らをムズムズさせてくれた、夜の家庭教師みたいな存在だったのだ。
 イベントを前に、ニッポン放送での打ち合わせは、その場所に集った人たちの思い出自慢合戦のようだった。
 70年代、80年代、90年代と、それぞれ育った時代は違うけれど、誰もがそれぞれの『オールナイトニッポンとボク(あるいはアタシ)』を自慢げに語りあうだけで、筆もとらないのに誰もの頭ん中に同じ画を描くことができた。
 田舎者の僕にしてみれば深夜ラジオの向こうに東京があって、東京育ちの誰かさんにはラジオの向こうに自分の知らない東京が見えたりして。リクエストはがきを読むパーソナリティに本気で恋して、胸が苦しくなって、エンディングテーマが流れると、あのコが遠ざかって行くような気がして、片想いという言葉にまた恋して…。バカげた妄想と知りながら、世界中でいちばん切ないのはオレかも的な、ほんとうにおめでたい気分を味わいながらもセンチメンタルとはなんたるかを教えてくれた、それはそれは貴重な深夜授業だったわけです。

 やめよ。泣ける。いや泣く。むしろ泣きたい。
 なので、そんな大切な思いと時代をびしっと敷き詰めた空間に仕上がっていると思うので、丸の内for MENの方、ちょっと覗いてみてもらえると嬉しいです。もちろんfor MEN以外の人もぜひ。

 いやー、これだけ書いただけで長いトンネルを抜けた気がした。
 単純なんです。オールナイトニッポン世代は。