2013/04/10

NIKKI『トマト大好き』

 上京した頃は、野菜がほとんど食べられなかった。
 食べられる野菜と言えば、ほうれん草、大根、玉ねぎ、あとは芋類のみ。
 それと、麺類に入れるきざみネギだけで、あとはすべてNO!
 東京で一人暮らしをするようになると、ほぼ毎日、トンカツ定食か焼き肉定食ばかり食っていて、
 気が利く店はごはん大盛りタダというところもあったけど、それだけでは腹が膨れなかった。
 ところがどの店のどの定食にも「キャベツお替わり自由」というアドバンテージがついていた。
 キャベツ好きや野菜嫌いでなければ大変ありがたいプランだろうが、いかんせん僕はNOキャベツである。
 お替わりどころか、最初にとんかつの横に盛られたキャベツにさへ手を付けようとしなかった。

 とんかつと大盛りごはんと味噌汁だけじゃ腹膨れないなぁ。
 でもキャベツかぁ…。うーん、食べられない。でも腹が膨れない。でもキャベツ。うーん。

 そんな悩みを見抜かれたのだろうか。店のおやじが僕に話しかけてきたのだ。
 「野菜嫌いなんだろ?」
 「はい」
 「ちょっと待ってな、キャベツ食わしてやるから」
 「でもキャベツは…」
 「いいから、待ってな」

 流暢な東京言葉を発しておやじは厨房へ消えると、しばらくして味噌汁のお椀をもって再び登場した。
 「ほれ、キャベツの味噌汁」
 「むりです」
 「いいから」

 むむむっ、いやじゃない。食べられるっていうか、むしろウマい。
 
 「ほらな。もいっかい待ってろ」
 おやじ再び厨房へ。そしてまたもや皿を持って登場。
 
 「ほれ、きゃべつと天かすの炒め物」
 「むりです」
 「いいから食ってみ」

 むむむっ、ヤじゃない。むしろマイウー。
 
 「これでキャベツは制覇したな。次はレタスとかトマト、いってみっか?」

 いつしか東京言葉から北関東方面の言葉にシフトしたおやじが、次なるステージへ誘おうとした。

 これが僕の、野菜デビュー。時は1981年のちょうど今頃である。

 それから僕は、学校帰りにほぼ毎日とんかつ屋でメシを食い、
 おやじのアレンジにより少しずつ野菜が食えるようになっていった。

 1年後。僕はとんかつ屋でバイトをするようになり、毎日大盛りのキャベツとトマトを食っていた。
 おかげさまで今ではキャベツとトマトは大好物で、
 当時は見たこともなかったアスパラガスも大ファンである。
 

2013/04/05

NIKKI『減らす』

 いろんなものを買ったり集めたり、幸せの法則は「増やす」ことだと思っていたのですが
 歳を重ねるとせっせと溜め込んだものを減らすことに幸せ感じます。
 何十年もかけて総額数十万もつぎ込んだコレクションが居住空間の妨げになり
 二束三文でインターネットで売りに出したり、下手すれば有料ゴミにする場合さへも。
 断捨離ブームになるほどなぁと頭をコクリ。
 肉体だってひもじかった若い頃よりも無駄なものがいっぱいついて
 それを削ぎ落す為にランニングだ水泳だ、エステだダイエットだサプリメントだと
 大金かけては減らすことに必死になっている。
 生活レベルを向上させるにつれ物を増やしてしまったけれど
 本当の豊かさとは、最低限必要なものだけに囲まれて、
 物に支配されない日常を送ることなんじゃないかと最近しみじみ思うのです。

 金持ちになった人たちは、海辺とか山間に家建ててテレビとかパソコンとか
 電波生活に見切りつけて、波と風と木々の揺れる音だけの暮らしに身を置きたがる。
 野菜育てて自給自足して、足りない物は物々交換したりして。
 要る物と要らない物を見極めるだけで、あたらしい生活が始まるような気がします。

 2月にオールナイトニッポン45周年のイベントやったとき、
 10代から溜め込んだ「お宝」をディスプレイとして貸し出した。
 そんとき、大したセキュリティもかけずに、
 スタッフから「盗まれちゃうかもしれませんよ」と言われたけど、まいっかと思えた。
 それはそれで仕方ないと初めて思えた。
 なんとなく、コレクトしてきた物たちの役割が終わったような気持ちになった。

 これまでは溜めることで豊かな気持ちになってきたけれど、
 これからは適正に減らすことで、あたらしい豊かさを獲得したいんだなぁ。





  ( ↓ こんなものとかね。)
 
 

2013/04/01

NIKKI『新学期』

 新学期といえば信じられないような思い出がある。
 国士舘大学4年を迎えた日に登校したら校門が閉鎖されていたのである。
 学生が入れないとはどういうことだと不愉快な気持ちで
 CAUTIONテープを破って突入しようとすると警官が手でバツ印を作って僕を阻止した。
 他にも僕と同じことを試みた学生が数人いたが、誰もが入校を断られたのである。
 不快極まりなく、眉を吊り上げて警官を睨んでいると、学校上空にヘリが到着し廻り始めた。
 
 校内で理事長が殺害されたらしい。
 
 誰かが言った言葉に耳を疑ったが、やがてそれが真実だと解ると背筋が凍りつくような思いになった。
 僕はなんて大学に来てしまったんだろう。
 もともと硬派なイメージであることは知っていたが、まさかまさか、こんな事件が起こる大学に…
 僕は体育教師になるために国士舘に来たのに、そこでは教育とは真反対の事件が起きている。
 僕は失望した。

 その事件で、学校は一週間の臨時休校を余儀なくされ
 学生ではなく国の番人が出入りする物々しい大学となってしまった。

 あれから29年が経ち、国士舘は過去の惨劇など微塵も感じさせないイマドキの大学になった。
 30年前には学生のほとんどが男子だったが、今では男女比がほぼ同じで
 学食には洒落たハンバーガーショップなんかも入っている。
 30年前は僕たち体育学部の学生が集団で学ランを来て小田急線に乗ると、
 他の乗客に威圧感を与え、少し申し訳ない気持ちになったけれど、
 今ではそんなこともなく、後輩たちは普通の学生さんとして車中を共にしている。
 社会貢献を目的とした学生ボランティアも数えきれないほどいる。
 ちょっとチャライ系のサークルも僕らの30年前の100倍ぐらいある。
 
 国士舘大学は変わった。
 体育バカだけじゃなく、普通の高校生が入ってもいいかなと思えるような大学になった。
 4年間を充実させるための学び舎として選ばれる私大のひとつになった。
 
 母校を勝手に変更することはできないが、この30年で母校が変わってくれた。
 これから30年経った頃には、今の在校生が腰を抜かすぐらい素敵な大学になってくれることを切に願う。